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大阪地方裁判所 平成6年(ヨ)2083号 決定

債権者

甲藤乙子

右代理人弁護士

丸山哲男

債務者

株式会社高澤システムサービス

右代表者代表取締役

高澤勝

右代理人弁護士

津留崎直美

主文

一  債権者が債務者に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は、債権者に対し、金一五〇万円及び平成六年一二月から本案の第一審判決言渡に至るまで、毎月二五日限り、一か月金一五万円の割合による金員を仮に支払え。

三  債権者のその余の申立を却下する。

四  申立費用は、これを五分し、その四を債務者の負担とし、その余を債権者の負担とする。

理由

第一申立の趣旨

1  主文第一項と同旨

2  債務者は、債権者に対し、平成六年二月一日から本案の第一審判決確定に至るまで、毎月二五日限り、一か月金二五万〇二六〇円の割合による金員を仮に支払え。

第二主要な争点

一  争点形成の前提となる基本的な事実関係(いずれも争いがない)

1  債務者は、企業ユーザー向けのパーソナル・コンピューター(以下「パソコン」という)のシステムの開発、販売、コンピューターセミナーの企画・実演及びコンサルティング業務その他の営業を行う会社であり、債権者は、平成五年四月六日、債務者に雇用され、同月一二日から勤務するようになった者である。

2  債権者は、債務者の従業員七名のうち六名に対し、ワードプロセッサー(以下「ワープロ」という)の打ち方や社内ルールなどについて研修と指導に当たる職務を担当していた。

債権者は、債務者代表者高澤勝(以下「高澤」という)から、債務者が顧客(丸共ナット)から預かっていた「一太郎」というワープロ・ソフトウエア(以下「本件ソフト」という)を預かった。

3  債権者は、「債務者の商品や物品を無断で社外に持ち出してはならない」という債務者(高澤)による服務上の注意に反し、本件ソフト及びそのマニュアル(以下「本件マニュアル」という)を債務者の承諾なく自宅に持ち帰った。

債権者は、平成六年一月二六日、高澤からのメモ書きにより、本件ソフトを返すように言われ、翌二七日、高澤宛のメモ書きに「会社の本箱の上にありました。申し訳ありませんでした。」と事実と違う弁解を書いて、本件ソフト及び本件マニュアルを返却した。

4  債務者は、債権者に対し、同月二八日付けで懲戒解雇する旨の意思表示をした(以下「本件懲戒解雇」という)。なお、右懲戒解雇理由等を記載した債務者作成の懲戒解雇通知書なる書面(〈証拠略〉)は、同年二月二日、債権者に発送された(審尋の全趣旨によれば二月三日到達)。

本件懲戒解雇の理由は、「雇用時に、『いかなる場合も、会社の承認を得ずに無断で会社の物品や商品を持ち出したり、持ち出すことを目的として、その複製物を作成してはなた(ママ)ない。』という、服務上の注意事項を聞いていたにもかかわらず、客先より預かった、商品(ワープロソフト「一太郎」)を、自らの立場(同商品の保管管理責任者)を悪用して、会社に無断で会社より持ち出し、自宅に隠匿して、横領した(この点を以下「本件懲戒解雇理由〈1〉」という)。また、一件が露見しても、事実を偽って、会社より盗難届の出される事が予告される迄なかなか返却せず、その返却にあたって自分が窃盗していたことは認めたものの、謝罪及び反省の意図が全く見られないばかりか、監督官庁の公務員や弁護士、或は取引先の幹部などの縁故者を頼って本件事由を取り消させ、会社に謝罪させるなどと脅迫した為(この点を以下「本件懲戒解雇理由〈2〉」という)。」というものであり、右は、「就業規則一一条及び一九条、二〇条」に該当するというものである。

5  債務者においては、従業員の賃金につき、毎月一五日に締切り、同月二五日に支給しているが、債権者の賃金月額は、本件懲戒解雇前三か月の平均で金二五万〇二六〇円であった。

二  争点の形成

1  当事者の主張は、債権者につき、「仮処分命令申請書」、「主張書面(一)」及び「主張書面(二)」、債務者につき、「答弁書」、「主張書面(一)」及び「主張書面(二)」と題する各主張書面のとおりであるから、これらを引用する。

2  右によれば、本件における主要な争点は、次のとおりと解される。

(一) 懲戒解雇事由の有無

(二) 懲戒権、解雇権の濫用の有無

(三) 保全の必要性

第三争点に対する判断

一  本件懲戒解雇事由の有無について

1  本件懲戒解雇理由〈1〉については、「債権者が、『債務者の商品や物品を無断で社外に持ち出してはならない』という債務者(高澤)による服務上の注意に反し、本件ソフト及びそのマニュアルを債務者の承諾なく自宅に持ち帰った」との点は、前判示のとおり当事者間に争いがない。そして、本件疎明資料によれば、持ち帰った時期は平成五年一二月であることが一応認められる。

2  もっとも、本件懲戒解雇理由〈1〉では、法的評価にもかかわることではあるが、本件ソフト等を債権者が自宅に「隠匿、横領」したとの点も懲戒解雇理由に挙げられている。しかし、この点までは疎明があるとはいえない。

(一) 確かに、債権者は、債務者から自宅への持ち帰りを禁止されているにもかかわらず、債務者に無断で本件ソフト及び本件マニュアルを持ち帰り、債務者(高澤)に返還を求められて返還したが、その際、嘘の理由を述べて弁解したことは争いがない事実である。

(二) しかし、他方、本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、債権者は、自宅にパソコンを有し、「一太郎」のワープロソフトも所有していること、右「一太郎」ソフトは操作マニュアル付きの正規のものではなく、債権者は操作の手引きとして市販の本を使用しており、ワープロ検定を受験しようとしていた債権者としては、市販の本ではまかなえない部分もあって、正規の本件マニュアルによって勉強する必要があったこと、本件マニュアルは数冊あり相当大部のものであること、本件ソフト及び本件マニュアルは、一体としてひとつのパッケージに入っており、あえて分離すると散逸のおそれもあることから、債権者はその全部を自宅に持ち帰ったことなどの事実につき疎明があるものと認められる。

(三) 右(二)の事情は、債権者が本件ソフト及び本件マニュアルを領得する動機に乏しく、検定の勉強に関して一時使用するために持ち帰ったにすぎないことを窺わせる事情であって、これらに照らせば、右(一)の事情があるからといって、直ちに、債権者が本件ソフト等を「隠匿、横領」したと評価しうるまでの疎明があったというには足りない。

3  本件懲戒解雇理由〈2〉には、「事実を偽って、会社より盗難届の出される事が予告される迄なかなか返却せず」との点が挙げられている。

高澤の陳述書中には、高澤から債権者に対し、平成六年一月六日以後、再三にわたって返還を求めており、同月二六日に警察に盗難の被害届を出すとの予告付きのメモによって求めたことで、やっとその翌日に返還されたとの趣旨の部分が存在する。

しかし、右には必ずしも明確でない部分もあり(なお、高澤は、審尋において、仕事終了後の話のついでに口頭で返還を催促したが、債権者が子供の迎えに帰ってしまうので、中途半端な話になったとの趣旨の説明もしていた〔審尋の全趣旨〕)、右再三の催促があったことを否定する債権者の陳述書も存在し、その内容をみても特段の不自然さがなく、これを直ちに虚偽の内容であるとはいえず、右債務者指摘のメモも疎明資料としては存在しない。

そうすると、債務者主張の右事実関係が存在する可能性もありえないではないとしても、未だ疎明の程度には達していないものと認める。

4  本件懲戒解雇理由〈2〉には、「(債権者が)返却にあたって自分が窃盗していたことは認めたものの、謝罪及び反省の意図が全く見られないばかりか、監督官庁の公務員や弁護士、或は取引先の幹部などの縁故者を頼って本件事由を取り消させ、会社に謝罪させるなどと脅迫した」との点が挙げられている。

債権者が「窃盗」であったと自認したとの事実については、債権者が本件ソフト及び本件マニュアルを債務者に無断で持ち帰り、その返還の際に虚偽の弁解をしたことは当事者間に争いがなく、本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、高澤の追及にあって、債権者は、右弁解が事実と異なることを認めたことも一応認められる。しかし、右事情から直ちに債権者が「窃盗」であったと自認したことを推認するには無理があり、高澤の陳述書中には右懲戒解雇事由の存在を裏付ける趣旨の部分があるが、これを否定する趣旨の債権者の陳述書と対比すれば、直ちに採用できず、他に、右事実について疎明があったと認めるに足りる資料はない。

また、「謝罪、反省」の点についても、前判示のとおり、債権者が本件ソフト及び本件マニュアルを「隠匿、横領」したとまではいえないこと、債権者の意図はワープロ検定の受験勉強のために本件マニュアルを読みたくて持ち帰ったものであること(なお、疎明資料によれば、ワープロ検定の資格を取ることは、債務者での業務にとっても無駄ではなく、高澤も反対していなかったことが一応認められる)などにも照らせば、債権者が「横領」や「窃盗」を前提とした言動をしないからといってこれを謝罪や反省の意図がないと決めつけるには前提を欠くものといわざるをえず、これに反する高澤の陳述書部分は採用しがたい。

更に「脅迫」の点については、本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、債権者は、債務者からの退職問題について労働基準監督署に相談に行ったこと、同年一月三一日には弁護士(債権者代理人ではない)による無料法律相談に赴き、調停を申し立てることなどの助言を受けたりしていたこと、同月二八日、同年二月一日、二日ころ、高澤との間で懲戒解雇について話が及ぶに当たっては、債権者から右事情を踏まえての主張があったことなどを一応認めることができる。しかしながら、債権者が右各相談行為をし、これを踏まえて自らの立場を主張することはもとより正当な行為であって、これが直ちに高澤への脅迫行為となるものではない。そして、債権者が右主張の際にその態様等の点において社会的に相当な程度を逸脱し、高澤を脅迫したと評価しうる程度にまで達していたことについての疎明はない。債権者のこれらの行為を脅迫行為であるとする高澤の陳述書部分は直ちに採用できない。

5  以上を要するに、本件懲戒理由〈1〉の点については、「隠匿、横領」との評価の点を除いては理由が存在し、これは、債務者の就業規則一一条一項所定の「業務上の指揮命令の(ママ)従うこと」との条項に違反し(なお、実害の発生については後述するが、同条三項への該当性も問題となる)、これは、同就業規則一九条七項の「この規則又は業務上の指示命令に違反したとき」との懲戒事由に該当する(〈証拠略〉)。本件懲戒理由〈2〉については、債務者主張の懲戒事由に該当する理由が存在するとの疎明がない。

二  懲戒権、解雇権の濫用の有無について

1  争いがない事実並びに本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、本件ソフト及び本件マニュアルは、実行用のソフトを作るなどのために債務者の顧客である丸共ナットから預かり保管中のものであること、前判示の債務者の営業形態からすれば、顧客からソフトを預かることもあり、その取扱には慎重を期することが求められ、それが債務者の信用に大きな影響があること、債務者では就業規則を設けるほか、高澤が日頃から債権者を含む従業員に対し、会社の物品はもとより、顧客からの預かり保管中のものを社外に無断で持ち出したり、複製することを厳しく禁じてきたこと、債権者もその点は認識し、本件ソフト等を自宅に持ち帰ることを高澤に願い出ても到底許されないであろうことを知りつつ、無断で持ち帰ったこと、本件ソフト及び本件マニュアルは、返却されるまで一か月程度の間、債権者の自宅に置かれていたこと、債権者は、返却に際して、高澤に対し、虚偽の理由を述べたことなどの事情が認められる。

2  しかし他方、本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、本件ソフトは、古いバージョンであったこと、本件ソフトが収められているフロッピーディスクには顧客の個別データや情報等は入っておらず、仮に破損、紛失があっても代替品の入手は可能であること、債権者による本件持ち帰り行為によって債務者における丸共ナット関係の業務に具体的な支障が生じるまでには至らなかったこと、債権者の本件持ち帰り行為が丸共ナットやその他の債務者の顧客に知れるなどして債務者の信用が棄損されるという実害は生じていないこと、債権者に本件ソフト及び本件マニュアルを領得してしまう意図があったとまでは断定できないこと、無断持ち帰りの事実や虚偽の弁解をしたことについては、債権者としても反省の情を示していることなどの事情も認められる。

3  以上を総合すれば、確かに、債権者の本件行為は債権者が考えるほど軽微なものではなく、その点で債権者の認識に甘さがあると言わざるをえず、他の従業員を指導するなどの立場にあった債権者が右のような行為をしたことは不当かつ不誠実であるとの非難は免れないというべきであって、債権者が債務者の就業規則に基つく懲戒処分に処せられること自体はやむをえないところである。しかし、右判示の全事情を考慮すれば、直ちに従業員の地位を失わせ、かつ、労働者にとって重大な不利益をもたらす懲戒解雇処分に処するのは、債権者の行為と本件処分の均衡から考えても、いささか重すぎるものと解され、本件懲戒解雇処分は、債務者の懲戒権、解雇権の濫用と認められ、無効であるといわざるをえない。

4  なお、債務者は、本件に至る経緯の中において、債権者が債務者からの退職を希望し、就労しないことを前提に、自主退職か解雇か、後者としても自己都合か会社都合かを問題としていたこと、退職を前提に就職活動をしていたことを指摘し、債権者にとって懲戒解雇の影響は大きくないと主張する。

しかし、本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、債権者は確かに債務者を退職することを考えた時期もあったこと、しかし、あくまで会社都合による退職にこだわり、かつ、再就職が困難な状況を認識するに及んで引き続き働くことを希望するに至ったこと、本件懲戒解雇処分は一方的に債権者の労働契約上の地位が否定されるものであること(高澤の陳述書中には、債権者の脅迫によって高澤の意に反して本件懲戒解雇がされたとの趣旨にとれる部分もあるが、不自然であり、他にこの事実を裏付けるに足りる疎明資料はない)などの事情が一応認められるのであって、必ずしも本件懲戒解雇処分が債権者にとって不利益ないし打撃が大きくないとはいえない。

三  保全の必要性について

1  債務者は、保全の必要性に関しても、前記二4の点を主張するが、採用できないことは同所に判示したとおりである。

そして、既に判示の諸事情に照らせば、債権者の地位保全の仮処分の必要性はあるものと認められる。

2  次に、賃金仮払の必要性の点についてみるに、賃金につき、債務者では、毎月一五日に締切り、同月二五日に支給され、債権者の賃金月額は、本件懲戒解雇前三か月の平均で金二五万〇二六〇円であったことは当事者間に争いがなく、本件疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、債務者から債権者に対し、平成六年二月二五日支払分(対象期間は同年一月一六日から二月一五日まで)以後の賃金の支払がされていないこと、債権者は、府営住宅に居住し、公立中学校在学中の一四歳の長男及び公立保育園に通園中の五歳の長女の二名の扶養すべき家族との三人暮らしであること、一か月の生活費は一五万円ないし二〇万円を要すること、収入は、債務者からの給与のほか、離婚した夫から毎月六万円が右子供の養育費として継続して支払われていること、本件解雇後の生活は、三か月間にわたって雇用保険のいわゆる仮給付を受けたほかは、不足分を兄弟等からの借金でまかなってきたこと、債権者の生活実態が標準世帯の程度を越えているなどの事情は窺えないことなどが一応認められる。

そうすると、月々の生活に必要な費用は平均で一七万五〇〇〇円であり、前夫からの六万円の交付分を除くと一一万五〇〇〇円が不足することになり、いわゆる手取り額としてこの程度の仮払を受ける必要性が一応認められる。そうすると、税金、社会保険料等の差引前の額としては、諸事情を考慮し、月額一五万円を相当とし、この範囲で仮払の必要性が認められ(なお、雇用保険の仮給付額相当分については、解雇が無効である以上、本来返還すべきものであるから、仮払の必要性が直ちに否定されるわけではないと解する)、右を越える額の部分については必要性の疎明がない。

したがって、債務者が債権者に対し、平成六年一一月二五日支払分までの賃金のうち仮に支払うべき額は一五〇万円であり、将来の分として平成六年一二月二五日支払分以後、本案の第一審判決の言渡しがあるまで、毎月二五日限り、仮に支払うべき額は、一か月一五万円の割合(ただし、各前月一六日から当該月の一五日までの期間に対応)であると認める。債権者のその余の申立分については理由がない。

四  よって、事案に鑑み、債権者に担保を立てさせないで、主文のとおり決定する。

(裁判官 田中昌利)

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